海外留学の現実

日本人の多くが憧れを持っている海外生活に関して、 体験に基づいてまとめられいるので とてもよくイメージできました。 いざ出発の日、3月でしたが、集合は成田空港第2ビル。JTBの方がアパレル 求人 をとり、航空券が配られました。日本航空JALの飛行機に生まれて初めて搭乗、離陸しました。その時、周りにはそのJTBの語学留学ツアーの参加者が多く集まっていて、飛行機の中で周りの参加者と情報交換したりしながら過ごし、約14時間後、ロンドンのヒースロー空港へ到着しました。 入国審査を終えると、そこにはイギリス人の運転手がカードを持ってスタンバイしていて、カンタベリー(ロンドン東部の街)の学校へ行く10人くらいがそのバスに乗り込みました。あまり怖さ知らずだった私は、無謀にも運転手の隣に座り、運転手と会話しようとしました。確か夜10時頃で、周りは真っ暗。聞こえる音は車のエンジンの音と、運転手が聞いているMichel JacksonのBadというアルバムの音楽だけでした。本当は心の中は不安だらけであったのでしょう、ほとんど眠ることは出来ませんでしたが、2時間ほどでカンタベリーの街に到着しました。とはいっても外は真っ暗で、周りに見えるものは黄色い街灯と家だけでした。ホームスティの家に着くたびに一人づつ名前が呼ばれ、その人が車を降り、ホームスティの家へと入っていきました。私もいつ呼ばれるかとドキドキしていましたが、最後から2番目くらいで、時刻はすでに夜12時くらいでした。重いスーツケースを持ち、中へ入ると、優しいアパレル 求人 と1匹の大きな犬が優しく迎えてくれました。 次の日、そのホームスティのお父さんが、カンタベリーの街へ連れていってくれました。歩いて10分程度のところにあり、街の中心には大きなカンタベリー大聖堂が美しく立派に建っていました。始めて海外の光景を見た私にとっては、見るもの全てが新鮮で、それらを見て歩くことが純粋に楽しかったです。 翌日の月曜日から英会話学校が始まりました。登録手続きを終えたあと、クラス分けテストがあり、日本人が半分以上、それ以外にはとなりにスイス出身の男の人がいました。私が興味本位でイギリスの新聞のラグビー欄を読んでいると、いきなり話しかけられ、日本人はラグビーはやるのか?と話しかけられたりして、少し仲良くなりました。日本人は英語の文法については他の国の人に比べて強く、そのクラス分けテストの結果も良く、必然的に高いレベルのクラスへ入っていきました。英語をほとんど話した経験のない、ある日本人の大学生が、文法、語彙力だけは強かったためにテストの結果がとても良く、テストの結果を見た先生に、”Did you do this by yourself?”と聞かれ、その大学生はそれさえも聞き取ることができず、ちょっとトラブルになっていました。まあ確かに、ここまで文法力、語彙力を持っていながら、英会話ができない人、おそらく世界にいないでしょう。英会話に対する日本の教育システムの悪さによる犠牲者、を見た気がしました。私も比較的高いクラスに入ることになりましたが、周りにはメキシコ人、スペイン人、トルコ人など、様々な国からの生徒がいましたが、エンジニア 転職 は日本人でした。内心、がっかりしました。 昼休みになると、みんなその英会話学校の食堂で、Fish & Chipsを食べたり、ハンバーガーを食べたりと、みんなでわいわい騒ぎながら食事をとりました。しかし、そこで見た光景は、今でも全く忘れられないほど、とても印象の強いものでした。生徒は2つのグループにはっきりと分かれていたのです。一つは日本人グループ、もう一つはその他の国から来た生徒のグループでした。その他の国とは、ブラジル、コロンビア、メキシコ、スペイン、フランス、ドイツ、スイス、オランダ、トルコなど様々な国から来ていて、つまり彼らはお互い外国人同士なのです。それなのに、その外人同士であるという事実を忘れてしまうほど、彼らはまるで同じ国から来た友達のように、お互いフレンドリーに仲良く会話していたのです。私は、そのときは何を思っていたか、(ただ単にそれがかっこいいからと思っていたかもしれない)、その“その他の国グループ”に無理やり入り込んで行きました。もしかして、お前は日本人だ、あっちへいけ、と言われるかもと、心配していましたが、そのような心配は全く無用で、その日から毎晩、カンタベリーの街のパブで彼らと飲みに行くようになりました。むしろ逆に、他の日本人の生徒からちょっと、あいつは変わっている、日本人じゃない、という感じで見られるようになってしまいました。 ある日、“その他の国グループ”で、みんなで授業をさぼってサッカーをしよう、という話になりました。外国人とサッカーするなんて、もしみんながとてつもなくサッカーが上手かったらどうしよう、などと少し心配はしていましたが、一応運動神経にはある程度の自信を持っていたので、参加してみました。まあそのような心配をするのは日本人だけかもしれませんね、他の人はみんなレベルどうこうではなく、純粋にサッカーを楽しもうとしているだけでした。いざ行ってみると、トルコ人のある友達が体育館を予約してくれていたようで、そこでキーパーなしのミニサッカーをやる、ということでした。私も参加し、2得点しました。そのときいた日本人は僕だけでしたが、自分は日本人である以前に、地球人の一人なのだなと感じました。当たり前のように聞こえるかもしれないですが、みんな地球の色々なところから来ていても、転職 やることはこのサッカーのように同じで、みんな友達として仲良く話す。これが当たり前に目の前で起きている状況に、とてもすごく驚きました。私にとって人生で最も有意義なサッカーでした。一方、そのとき語学学校ではどうなっていたのか、後で聞いたところ、日本人だけの生徒で授業が行われていたそうです。 1994年1月のある日、東京の大学付属高校を卒業する直前、入学予定の大学の図書館で高校の期末試験のために友達と勉強していたときに、ふとしたきっかけで、私の海外への道のりが始まりました。たまたま大学の生協で飲み物を買おうとしたとき、イギリス語学留学、と書いたパンフレットを見つけたのです。それはJTBのパンフレットで、2、3、4週間のイギリス語学学校へのツアー情報が載っていて、値段は20−30万円程度のものでした。当時、日本でECCという英会話学校へ半分遊びで通ってはいたものの、海外へ行ったことのなかった私は、海外って思ったより簡単に行けるのだな、と思いました。ただし、海外へ行ってみたいという思いはありましたが、遊びに行きたいと、親へ言うことさえ考えたこともありませんでした。私も普通の平凡な日本人でした。 でも私はそのとき、あることを思いついたのです。もしかしたらこの語学留学に行きたいと親へ話したら、語学留学は勉強の一部だし、お金を出して行かせてもらえるかもしれない、と思いついたのでした。ただ、本当にイギリスへ一人で行って3週間英語だけの世界で生活できるのか、心配でもありました。でもまあ自分に良い経験にはなるし、遊び気分で楽しんでくれば良いかと、一応高校生なりのしっかりした考えを持って、その日の夜、親に話してみました。すると返事は即答、行って来い、でした。そのときのことは今でも忘れられません。実はその瞬間が将来の自分の人生を大きく左右するとは、もちろん当時は考えもしませんでした。

2009年1月15日、日本の華字紙「中文導報」によると、日本に留学する中国人学生の数は減少傾向にあるものの、留学生全体の中で人材紹介 として最多となっている。中国新聞網が伝えた。 日本の独立行政法人・日本学生支援機構(JASSO)が昨年12月に公表した調査結果によれば、08年5月1日までで、08年度の在日外国人留学生の数は前年同期比で5331人増え、12万3829人と過去最多となった。中国本土からの留学生は7万2766人で、同1489人(2.1%)増となったが、中国人留学生の数が8万592人を記録し最多だった05年と比べると、その数は減少傾向にある。 日本で就業する中国人にも不況の波が押し寄せており、リストラの危機に直面している。この時勢に転職する人も少ないため、人材派遣会社やヘッドハンティング会社の業績も悪化しているという。中国新聞網が伝えた。 厚生労働省によると、08年9月に失業保険を受け取った人数は、前年同期と比べ2.6%増加、1年4か月ぶりに上昇した。経済不況の影響と見られており、調査によると失業保険を初めて受け取る人も増加した。失業保険受領者は6年連続で減少傾向にあったが、08年7月以降、毎月の受領者は60万人を超え、9月には60万6000人余りが受け取った。 不況の影響は日本で就業する中国人にも及んでいる。日本の中国系IT企業は年初以来業績不振。企業からの受注もなく、技術者を派遣するあてもない。そうした技術者のうち、特に新人は解雇のほかなく、仕事が見つからなければ帰国するしかない。 中国部門や中国の子会社を閉鎖する日本企業も現れている。さらに、株で損失を出して家庭不和になった者や外貨投資に失敗した者も。留学生もまた苦境が続いている。レストランや工場などでアルバイトして学費や生活費の足しにする留学生は少なくないが、稼げる額は減り、バイト先さえ探すのに困難な状況だという。彼らは日本経済の「寒流」の中、寒い旧正月を過ごすことになる。 中国人留学生のうち、SEO対策 は3万8765人で同1097人(2.8%)減となり、3年連続で減少。その一方で、大学院への進学者数は同534人(3.3%)増の1万6798人となった。日本の大学院の修士、博士課程の学生総数は23万9654人で、中国人留学生は全体の7%を占めるまでに増えているという。 国別留学生数は中国が減少傾向にある一方で、韓国は1588人増え1万8862人(9.2%増)で2位。以下、台湾は396人増え5082人(8.5%増)、ベトナムは291人増え2873人(11.3%増)、マレーシアは125人増え2271人(5.8%増)。主な留学先は、立命館アジア太平洋大学が最も多く2644人。以下、早稲田大学(2608人)、東京大学(2388人)、大阪大学(1439人)、国士舘大学(1356人)。 「女子留学生日本語弁論大会」で全国優勝した静岡産業大学4年でインドネシア国籍のティッサ・マハディアニ・マリザさん(23)=焼津市=が19日、県庁を訪れて石川嘉延知事に報告した。ティッサさんは、NGO(非政府組織)「世界平和女性連合」が昨年秋に開いた第12回弁論大会に応募。留学中に病死した母への思いなどを表現した「わたしの日本留学生活〜母の夢、わたしの夢〜」で全国一になった。「日本と母国を結ぶ仕事に就きたい」とティッサさんと抱負を語った。

グローバル化の時代に育った日本人は、国際社会で他の国との交流を維持し、その発展をサポートすることは、日本の責務であると考えている。 『ソフトパワースーパーパワーズ』の編著者である渡辺靖慶応義塾大学教授は、「日本人には、60年前、他国の援助により復興を成し遂げたので、今度は自分たちが同様に高尚なことをすべきだという思いがある」指摘する。 2004年に海外の大学に留学した日本人は約8万3000人に達し、1990年の3倍にもなる。国連で働く日本人専門職員は、7年前は500人にも満たなかったが、今では約700人に上る。 また、大西健丞氏が留学から帰国後の1996年に設立した「ピースウィンズ・ジャパン」は、日本最大の非政府組織(NGO)の1つに成長した。 大西氏によると、対外援助およびその活動を通じて、世界に日本の価値観を広めることを責務と考える日本人が、次第に増えているという。 こうした考え方に刺激を受け、青年海外協力協会のボランティア事業に参加する人が増加している。同協会は1965年以来、70余りの国々に3万人を上回るボランティアを派遣してきた。現在、ボランティアの主力は、女性と退職後に新たな生きがいを求めるシニア世代。彼らの海外での活動も非常に「日本的」といえる。例えば、寒さに強い品種の米栽培、環境保護研修、数学・自然科学教育だ。 日本人の海外に飛び出し、世界を理解したいという思いは非常に強い。現在41歳の大西氏は、「かつて東京の有名大学2校で客員講師を務めることになった際、世界の遥か遠くの地の話を聴きに来る学生はいるだろうかと心配した」と振り返る。しかし、実際、大西氏の講義が始まると、教室はいつも満員となり、席がなくても立ったまま聴講する、熱心な学生も少なくなかったという。 マンションの部屋を友人とシェアする「ルームシェア」が今、脚光を浴びている。未曾有の不況下ともあって、紹介ブログがネット上で話題になっている。もちろん、トラブルもあるようだが、ちょっとした贅沢気分が味わえるのが魅力というのだ。
「ルームシェア可と謳ってない物件でもかなり受け入れてくれる」  「アパートじゃないところがミソ。マンションまじ良いよ」 こんなフレーズでルームシェアを紹介した「はてな匿名ダイアリー」のブログが話題になっている。その2009年1月4日のエントリーでは、一人でアパートに住むより良い点として、「広い、綺麗、トイレバス別、新しめの自動湯沸かし・保温付いてる」「シンク広い。ゴキブリでない」などを列挙。また、管理人がゴミや荷物受け取りまで面倒を見てくれたり、給料が少なくても毎月貯金ができたりするメリットがあるとする。 さらに、精神面のメリットも強調。きつい仕事から帰ってきて相手がいるとホッとし、休日は馬鹿話を肴に飲んだりできるとしている。 新卒1年目でマンションに住めたのは、2人のシェアだからだとも。住んでいるのは、新宿まで電車で15分、家賃10万円、2LDKの賃貸物件。この不況下で、「ルームシェア可と謳ってない物件でもかなり受け入れてくれてる」と言う。 欧米などの留学先では、一般的なルームシェア。日本でも、増えてきているのだろうか。 日本で最もアクセスが多いというサイト「ルームシェアジャパン」は、開設当初の2004年に比べ、現在は20倍もの月間100万ページビューに増えた。また、交流を重視するシェア形態のゲストハウスは、民間のサイト「ゲストハウス白書」によると、そのベッド数が05年に比べ2.4倍にも達している。正確には分からないが、増加傾向にはあるようだ。 ルームシェアジャパン運営者の秋祐樹さんは、まだ不況の影響はそれほど出ていないとしながらも、「不動産業者は嫌がっていますが、物件が売れず借り手が強くなっています。ルームシェアは、今後も増えていくと思います」と話す。
漫画「NANA」やドラマ「ラスト・フレンズ」の影響 なぜ、日本でもルームシェアが人気となったのか。 ルームシェアジャパンの秋祐樹さんは、こう話す。  「一番大きいのは、メディアの影響だと思います。映画化された漫画『NANA』や昨春のフジテレビ系ドラマ『ラスト・フレンズ』でルームシェアを知り、『そういう暮らし方があるのか』と関心を持つ人が増えてきました」 シェアするマンションの相場は、都内なら10〜30万円ほどで、3〜4人で住むこともあるという。年齢は20〜30代が多く、男女に偏りはあまりないとも。地域は、関東やアメリカ文化の影響が強い沖縄で多いとしている。 ネット上で、「ルームシェア」と検索すると、いくつか情報サイトが出てくる。  「3LDK 20,000円 タワーマンション・最上階の個室を2部屋同時募集」 そのうちの一つ「ルームメイト・カフェ」には、こんな格安な情報が載っていた。このケースの場合、42歳の男性が横浜市内で10か月限定の条件でシェア希望者を募っている。また、自営業の32歳男性は、東京・北区のマンションを女性限定で募集し、25歳女性から「個室には鍵がちゃんとついてますか?」といった質問が寄せられていた。 また、ルームシェアジャパンを見ると、男性が東京・赤羽のマンションの入居者を募り、「派遣切りにあわれた方を限定で一週間程度の期間だけですが、宿泊場所を提供できたらと思います。以前に、男性を泊めてトラブルがあったので女性限定とさせていただきます」とうたっていた。ルームシェアには、様々なニーズがあるようだ。 もちろん、トラブルもある。秋さんは、「相手に『こうしてほしい』『イヤだ』と言えない日本人が多いので、結果的に仲が悪くなって共倒れになっています。十分な予備知識を持ち、自立していることが大切です」と話している。